岡山ナザレン教会





永松 清牧師

説教要旨

 日曜日10:30〜12:00



礼拝とは

 礼拝は教会の生命です。生きた全能の神の言葉が語られるからです。新しい週の始めに、まず、神の前に集い礼拝します。礼拝では牧師の説教を通して神の言葉に触れ、賛美し、祈ります。
 そして、週の始めの一歩を踏み出す力と希望を神から与えられ、全能の神が共に歩んで下さることを味わいながら、新たな生活が始まります。


2023年2月19日



2023年2月12日
説教要旨
[ イエスの受洗 ]

ルカ福音書3章21-38節

(序) 洗礼(浸礼)バプテスマの持つ意味は、人の全身が水の中に入れられ、口を閉ざし、あたかも死を経験する。それは自我が砕かれ十字架のイエスと共に死ぬことである。そして、復活の主と同様に死から蘇らせられ新しい生へと導かれる。

(本) しかし、イエスの洗礼はわたしたちと異なる。なぜならば、人は罪(神への原罪と人への罪〃)を犯すが、イエスは罪を犯されなかった。けれどもここで洗礼を受けられることには深い意味があった。すなわち、イエスは全く私たちと同様に人となられ、肉体的・精神的・霊的に、さらに人が経験する喜怒哀楽を味わわれた。バプテスマのヨハネはイエスへの洗礼は躊躇(マルコ)したが、神の意向であることを悟り、洗礼を施すこととなる。

(結) イエスの私生涯(30年)公生涯(足掛け3年ほど)の中間点であった。水の中から上がると「これは私の愛する子、わたしの心に適う者」という声が天から聞こえた。神のご計画が進められたことを知る。


2023年2月5日
説教要旨
[ 洗礼者ヨハネの教え ]


ルカ福音書3章1-20節

(序) 洗礼者ヨハネは、福音宣教と共に、正義を語った。当時ヘロデ王によって投獄されていたが、その原因はヘロデ・アンティパスが異母兄弟ヘロデ・フィリポの妻へロディアを奪って自分の妻にしたことにあった。ヨハネは不法結婚を責めた。

(本) ヨハネは大胆に神の意志を語った。それは旧約と新約聖書をつなぐ役目も果たした。すなわち、歴史を通して神はイスラエルを導き世界に福音が語られた。  さて、旧約聖書のイザヤの預言を引用し、イエスの先駆者として、異邦人を含めた全人類のキリストによる普遍的救いを預言する。しかしこの救いの実現はまだである。 人々はヨハネに10節以下に問います。答えは、着るものも食べる者も分かち合えと答えられます。また、職権で賄賂をむさぼるなと諭されました。現在に通じることです。

(結) ヨハネは、イエスの先駆者であり、預言と実践で神の意志を伝えました。彼の存在は必要不可欠であったのであります。


2023年1月29日
説教要旨
[ 少年イエス ]


ルカ福音書2章41-52節

(序) 人は少年、少女時代を経験し、成長します。各自の成長の経験を振り返ることができます。

(本) 本日は少年期です。  当時の習わしとして、13歳(成人とみなされた)には、過越しの祭り(7日間)にエルサレム神殿に参拝しました。イエスの両親は信仰篤く、毎年過越し祭にエルサレムに参拝しました(距離は約100q、3日間の道のり)。さて、今回神殿での参拝を終え、帰路についたイエスの両親はイエスを見失います。それもそのはずで、イエスは神殿で学者と語り合っておられたのですから。イエスを見つけた両親は叱責しますが、イエスは「わたしが父の家にいることは当たり前だということを知らなかったのですか」と答えられます。

(結) イエスは神の子である事を示されました。と同時に、神でありつつも、完全に人間としておられることを現しています。52節ではイエスが精神的に、霊的に、社会的に、正常な成長をされたことを示しています。神であると共に人であられた。


2023年1月22日
説教要旨
[ナザレに帰る]


ルカ福音書2章39-40節

(序) ナザレの町はパレスチナ北部ガリラヤの高地の南部、丘の中腹にある町です。イエス・キリストの故郷として、聖書と関係深い町です. ナザレン教会はこの名にちなんでいて、ナザレの人を現しています。

(本) さて、マタイ福音書2章以下では、東方の博士たちが新しい王の出現を星に導かれ、ベツレヘムでイエスの誕生に遭遇します。彼らは高価な贈り物を捧げ、喜びに満たされ帰国します。当時の王により幼児殺害が起こり、イエスと両親はエジプトに逃避しました。  やがてヘロデ王も亡くなり、聖家族は故郷のナザレに帰ることとなりました。「彼はナザレの人と呼ばれる」とマタイ2:23は記しています。  ルカ福音書では、聖家族として、律法に従いました。そして故郷の町であるナザレに帰り居場所を見出したのです。

(結) 聖家族の歩みは波乱万丈でしたが、ナザレの故郷を居場所として、イエスはたくましく育ち、神の恵みに包まれていたのでした。


2023年1月15日
説教要旨
[神殿でささげられる]


ルカ福音書2章22-24節

(序) 神の独り子、イエス・キリストは、父ヨセフと母マリアの聖家族と共に聖書に登場する。彼らは信仰篤く、モーセの律法に従って生活していたことがうかがい知れます。

(本) 本日は、ナザレからエルサレムへ旧約聖書のユダヤ教の掟に従い、マリアの清めの期間を経て、幼子イエスを献げるために神殿に連れてきます。そこでは、山鳩一つがいと家鳩二羽をいけにえとしてささげました。  ルカのテキストでは、旧約の律法順守に主眼を置かず、新約の持つ新しい視点を強調します。すなわち、イエスの登場を掟の従属的な存在から、主体者としての「聖なる者」とされるという理解です。25節から聖霊を受けたシメオンと預言者アンナが登場します。彼らは、イエスの出現を待ち続けていました。

(結) 神の選びによる、聖家族はイエス・キリストを中心として行動します。その時イエスは「主のために聖別される」者と認識されました。


2023年1月8日
説教要旨
[主と共に生きる]


ローマ書6章1-11節

(序) 新しい年、皆さんはこの一年をどのようにして生きるか考えられたことでしょう。

(本) キリスト教の教えでは、人は罪人であると指摘します。説教などで人は罪人の指摘で立腹される方もおられます。ここでの罪は、 刑法に係る罪ではなく、人や天地を創造された神との関係です。 人は二つの点で罪を犯しています。一つは、神に対する罪であり、創造者と被造者の関係による。神の手によって造られた私たちであるが、造られたことを忘れ、自己中心的に生きていること。第二は、 ガラテヤ5:19以下に記される他者に対する罪(肉の業)です。この罪の根本的解決を、神の独り子イエス・キリストが負われました。彼は、十字架で人の罪、汚れを清めるため贖いとなって下さったのです。

(結) 私たちは、十字架の贖いを信じ、十字架で死を追体験します。と同時に、復活のキリストと共に生きる時、永遠の希望に満たされるのです。


2023年1月1日
説教要旨
[新年の希望]


マルコ福音書1章9-11節

(序) 新年を迎え、皆さんは今年何が起こるのか、不安を覚えつつも、新しいことが起こる予感を抱いておられるのではないでしょうか?

(本) 私たちキリスト者(イエスを救い主メシアと信じる者)の信仰の原点はバプテスマ(洗礼)にあります。人生では、この世に登場する誕生と共に第二の霊的な誕生といえるバプテスマ(洗礼)があったのです。決定的なことは、神ご自身がわたしたち一人ひとりを選んで下さり、神の手が先に打たれた事実による  神の独り子イエス・キリストも父なる神に導かれ、バプテスマのヨハネより洗礼を受けられます。その時、天から「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が聞こえました。

(結) 本日神の招きを受け、それに応え今日ここに出席された方も神が選ばれていると信じます。新年、私たち一人ひとりが過去に縛られず、未来に向かってはばたく人生でありたいと思います。望みを抱き続ける年となりますよう祈ります。